「真夜中の思い出」より
ディノの代わりに臨時のネアの護衛として引き摺り込まれた
本日のアルテアさん
- 苦味のある果実の香りに、その奥にあるほんの僅かな煙草の香り。
- 三つ揃いのスーツは、チャコールグレー。
- 声にからかいはなく、穏やかに柔らかい。
- 微かな苦笑を滲ませて、包み込むように笑いかける。
もそりと起き上がると、手袋に包まれた手にわしわしと頭を撫でられた。
「………まだ夜明け前だ寝ていろ」
「む。………誰だ」
「ほら、さっさと寝ろ」
「………アルテアさん、香水つけてますか?」
「いや、魔物はつけない。元々、魔術には香りがあるからな。人間に擬態していれば、試すこともあるけどな」
「……そうでしたか」
もともと魔物は良い香り。いいな。
「……さっき呼んだ名前は?」
「………名前?」
「……ジークと」
「…………寝ぼけていたのかもしれませんね。服装が少し、アルテアさんに似ている方でしたから」
「寝台で呼ぶような名前だ。恋人だろ」
「いえ。そういう方ではありません。恋はしていましたが、片道通行です」
「ふうん。そいつはどうしたんだ?」
「もう亡くなっていますよ。そもそも、こちらの世界の方ではないですし」
「そんな程度の男の名前を呼ぶか?ある程度の由縁はあったんだろう」
「……………薔薇を貰いました。真っ白な薔薇のギフトボックスです。目が覚めたら私の病室に置いてあって。……不思議ですね、あの時にはもう、彼は、私が自分を殺すと知っていた筈なのに」
ジーク・バレット(ネアの初恋の人)
- ジーク・バレットは病院に真夜中に訪れ、二時間も滞在していた。
- 花を残して医療スタッフ達に口止めをして帰っていった。
- 病院の支払いを自分に回すように言ってあったそうだが、それはネアが辞退して自分で支払いを済ませた。
「それでもと思う事もあるだろう」
「かも知れませんね。複雑そうな人でしたから。アルテアさんにも、そのようなことがありましたか?」
「いや、俺は基本的に手に取るか捨てるかのどちらかだ。適度に楽しむが、そこまでの証跡は残さない」
「………まぁ。証跡を残さないという言い方が酷い奴感満載ですね」
「さてな」
それでも、考えを巡らせるくらいには、彼も心の織りの複雑さを知っているのだろう。
口には出さないだけで、心を残した想い人がいるのかも知れない。
だとしたらきっと、とびきりの美女だろうなとネアは思った。
ここまでは、おだやかな会話のシーンですね。
真夜中の静けささえあります。
「呻いてないで寝てろ。シルハーンも、すぐに戻ってくる。それと、そこの毛布の山は片付けておいたぞ」
「…………え、」
片付けてくれた親切なアルテアさんだけれども、それは王様の毛布の巣。
さっと血の気が引いた。
眠気も消え失せて、ネアは慌てて飛び起きる。
蒼白になった確認した先では、昨晩ディノが組み立てたばかりの巣が、綺麗に畳まれて控えの椅子の上に積み上げられていた。
「洗い物はきちんと使用人に出しておけ」
「………アルテアさん、私は知りませんよ」
「………あの毛布に何かあるのか?」
「あれはディノの巣です。せっかく洗いたての毛布で組み立てたばかりなのに」
「………は?………巣?!」
「巣ってなんだよ。魔物は巣作りなんてしないぞ?!」
「火箸の魔物さんは、藁で巣を作るそうですよ」
「火箸の魔物は、鳥だろうが。人型の魔物は寝台で寝る」
「でもあれは、うちの魔物の巣だったんです。ドーム型に積み上げて、中に包まって寝ています。色や重ね具合など、独特のこだわりがあるので、私とて容易に触りません。昨日洗濯に出したのも命がけでした」
「…………巣?」
ドーム型に積み上げて、中に包まって寝ている魔物の王様・・・。
毛布の色や重ね具合のこだわりって何だろう・・・。
「前から思っていたのですが、ディノは人型でも他の人型の魔物さんとは違うのでしょうか?」
「………そりゃ、最高位だから色々違うだろうが、それとは別の問題か?」
「巣作りの習性がありますし、打撃諸々を好みます。甘え方も犬寄りですし、あまり人型としての羞恥心もなさそうですし」
「……………最後のやつは何だ」
「私の入浴中に、ちょっとした用事で顔色一つ変えずに侵入して来ることがあります。叱っても不思議そうにしているので、確信犯ではなさそうですね。それに、時々せがまれて髪の毛を洗ってあげるのですが、人前で脱ぐことに羞恥心もなさそうです。最初、全部脱がれそうになったので、行動不能にせねばなりませんでした」
「前半はもっと叱っておけ。後半については、高階位の者は、入浴も使用人に任せることに慣れている。その範疇じゃないのか?………行動不能?」
アルテアさんは意外と常識人な魔物でもあり。
俺は入浴中に他人を近付けるのは嫌だけどな、とアルテアが付け加えたので、ネアは彼にも入浴の文化があることを知る。
魔物の入浴文化
- 基本的に生活の範囲では汚れない魔物は、汚れた場合のみの洗浄という行為以外で、あまり入浴するような習慣はない。
- あくまで入浴は、嗜好の範囲。
「確かに、エーダリア様は、王子時代には人の手を借りての入浴に慣れていたそうですし、以前に出会った風竜さんも私に手伝わせようとするぐらいに、一人ではお風呂に入れない子でした。でも、ディノは入浴自体は一人で出来るので悩ましいですね」
「その風竜は、きちんと躾けたんだろうな?」
チェックの厳しいアルテアさん。
「…………お前の竜に対する評価が良く分かった。シルハーンの羞恥心については、人間の王族のそれとあまり変わらないだろう。城に世話係がいたんだろ」
「まぁ、王様ですしね。そうなのかもしれませんね。………そして、巣の一件は、きちんと謝ってあげて下さいね。私は寝ます」
「………は?」
話しながらネアは、多少なりの計算をしていた。
アルテアには、是非一人でディノと向き合って貰おう。
眠くてもそういう計算は捗るネアちゃん。
勿論、そのネアの決意を感じ取ったのだろう。
慌ててネアの毛布を剥ごうとして手を伸ばしかけたアルテアは、その状態のまま固まった。
「アルテア?」
いつの間にか、部屋の戸口にディノが立っている。
ふわりと微笑んで首を傾げているが、目は、寝台のネアに伸ばされたアルテアの手を見ている。
そこでふと気付いたのか、積み上げられ片された毛布の山に視線を向けた。
「…………巣がない」
もう一度視線を戻された先のアルテアは、頭を抱えていた。
近くにいただけで護衛に引き摺り込まれ、毛布もきちんと片付けた、のにもかかわらず、面倒ごとに巻き込まれる選択の魔物。
お労しい。